北海道網走のオホーツクの流氷・アイヌ民族・モヨロ貝塚・北方領土の歴史
北海道網走市
北海道網走市は、北海道の北東沿岸に位置し、オホーツク海の流氷で知られています。
天都山にあるオホーツク流氷館は、流氷について学べる博物館です。
網走市とその周辺にある湖は網走国定公園に属し、涛沸湖の近くにある小清水原生花園は野草の保護地域です。
北海道立北方民族博物館では、先住民族アイヌの文化や他の北方民族に関する展示が行われています。人口:3492万人【2020年2月】
モヨロ貝塚
北海道網走市北1条から北3条東2丁目にかけてあるオホーツク文化の代表的遺跡です。
網走川河口左岸、オホーツク海そばに位置し、国の史跡に指定されています。
本貝塚名は、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、1918年に米村喜男衛によって名づけられました。
モヨロ貝塚ウィキペディア
北海道の残念な歴史出来事
北海道の歴史はアイヌ文化や本土から移住した屯田兵の農地開拓など雄大な天ぼくの原野を人力で今の北海道を作り上げた歴史に興味が湧いてきます。
戦後、ロシア(旧ソ連)が戦争が終結したのにも関わらづ北海道を占拠しました。
旧ソ連・現ロシアは、現在のウクライナ侵攻のように卑劣なやり方しました。
しかも、日本とソ連(ソビエト連邦)は、戦争をしない共同声明を結んでいました。
戦争は、世界を破滅に向かう最悪の事態ですね。
広島、長崎の原爆から日本は復興しましたが、当時の何十倍かの核兵器を保有している国も増えています。
いまだに核ミサイル実験を繰り返し行っている近隣の国もあります。本当の平和って何でしょうね。
戦況が日本の不利になってから中国、朝鮮に参戦して、日本人を捕虜にしてシベリアの捕虜収容所で強制労働をしました。
戦争が終結しても捕虜は、なかなか解放されず家族に会えないまま亡くなった人も多くいます。今でも北方四島(北方地域)は日本に返還されず、ロシア人が住んでいます、
それこそ孫やひ孫が大人になって家族をもって住んでいます。
その人たちは、国後島・色丹島・歯舞島・択捉島は自分たちの祖国だと勘違いして住んでいることでしょう。
私たち日本人は国を取られても、いまだに取られっぱなしです。
中国には、尖閣諸島を自分たちの島のようにあしらわれています。
韓国は、竹島を前大統領を含め官僚たちに侵犯されています。
韓国の国旗をマスコミに向かって掲揚しています。
本当に残念です。
もし、自分たちの家や庭に見ず知らずの人が無断で住み着いたらどうでしょうか⁉
私たちは、どんなことをしますか⁉
おそらく、事件になり死者も出るかもしれません。
自分の家は、必ず鍵をかけ、庭は塀を建てて、自分の家を守るために防衛します。
個人では、防衛が出来ても国となると、他国に守ってもらわないと自国の防衛が出来ないのが我が国日本です。
憲法で決められています。この憲法を作ったのは他国の人たちです。
当時、占領下にあった日本を他国の人たちが、日本が戦争を二度と起こさないように都合よく作ったのが、今の憲法です。もちろん戦争や侵略・侵攻はいけません。
しかも、同じ憲法をこんなに長く改正しない国は他に例を見ません。
世界情勢は、かなり変わっています。
今の時代にそぐわない、時代遅れの憲法は早く改正して、自国は自国で守れるゆるぎない国に早くかえるべきではないでしょうか!
特に、政治家の皆さん国会での居眠りはもうやめて、事件やスキャンダルを起こさない、緊張感をもって国民を守ってください。